5分でわかる日新製鋼

未来への変革

日露戦争の特需で日本中が好景気に沸く1908(明治41)年、大阪の浪速に田中亜鉛鍍金というめっき工場が産声を上げた。 その3年後には、同じ大阪の南区に亜鉛鍍株式会社が創業する。 この2つの亜鉛めっき会社が日新製鋼の源流である。

亜鉛めっきとは、鉄の需要が増大した産業革命によってもたらされた優れた防錆技術である。 今日の日新製鋼の「錆びない鉄」への挑戦は、すでに創業時より運命づけられていたと言える。

田中亜鉛鍍金

創立当社の田中亜鉛鍍金。瓦葺き木造50坪の小さな工場から始まった。

多くの中小鉄鋼会社が消えていった世界恐慌や戦争、震災などの試練を乗り越え、国内トップの平炉メーカーと大手亜鉛鉄板メーカーへと成長。 そして、田中亜鉛鍍金が創業して50年後の1958年10月、2社は大いなる決断をする。 さらなる事業の拡大化を図るための合併である。 1959年4月、正式に日新製鋼株式会社が発足。 高度経済成長の波に乗り、1962年には、高炉を建設して銑鋼一貫メーカーとして飛躍を遂げた。 2008年、当社は創業から100周年、そして2009年には、日新製鋼として新発足後50周年、今や小さなめっき工場は、日本の高炉4社の一角を占めるまでに発展した。

看板

日新製鋼の前身である大阪鐵板製造(株)の特約店に揚げられていた看板。
昭和 2年まで、現在とは逆の月星印が使われていた。

その大きな理由は、景気に大きく左右されない民生品などの安定した需要を持つ顧客と密接な関係を築き、技術力を活かして錆びに強い鉄をつくり続けるという企業姿勢が大きい。 現在でもこの意志は引き継がれ、表面処理技術の開発はもとより、時代や顧客のニーズに応える特殊鋼やステンレス鋼などの高付加価値鋼の開発に力を入れている。 そして、2014年4月、さらなる発展に向けて日本金属工業(株)との完全統合により新たな日新製鋼がスタートした。

呉製鉄所

1962年、呉製鉄所においてNo.1高炉が火入れされ、銑鋼一貫メーカーとなった。

沿革

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